妙福寺の縁起

谷中の静かな寺町の一角に、妙福寺はあります。

谷中・妙福寺は、日蓮宗の僧 久遠成院日親上人の法縁を受け継ぐ寺院として、

約六百年にわたり法華経の信仰を伝え、長い歴史の中で多くの人々の信仰を集めてきました。

境内には歴史を伝える史跡や文化財が残されており、江戸の信仰と文化を今に伝えています。

開山 久遠成院日親上人

妙福寺には、久遠成院日親上人のご真骨が伝えられています。

日親上人は室町時代に法華経弘通のために命を懸けて布教を行った高僧であり

その信仰は現在も多くの寺院で大切にされています。

当山は、この法縁を受け継ぐ寺としてそのご真骨を大切に守り伝えています。

日親上人開基霊場

鍋冠日親大上人開基霊場

久遠成院日親上人は、御年十九歳の応永三十二年(1425)、九州松尾山光勝寺へ下向されました。
その折、松尾山の辰巳に位置する三ヶ島という地にある小高い石を説法の座とし、九州弘通の拠点として肥前国加瀬郡加瀬町に一寺を建立されました。

説法の石にちなみ、妙福寺の山号は「石岡山」と伝えられています。

妙福寺と歴史

本阿弥家十一代光温(法名 常住院光温日良、寛文七年〈1667〉没)が寺地を寄進し、等光院(東光院)として庵室を営みました。

万治二年(1659)五月、第十四世等光院日春上人の代に、故あって佐賀より現在の谷中へ移転し、妙福寺として法灯を伝えることとなりました。

この木札は、佐賀県の松尾山光勝寺の御宝前に祀られていた三宝様の宝塔の中から見出されたものであり、妙福寺と光勝寺の深い法縁を伝える貴重な史料です。

妙福寺と文化

江戸時代、谷中妙福寺の日親上人への信仰は広く知られ、正月十七日の参詣は江戸庶民にとって一年の重要な行事の一つとされていました。

多くの人々が参詣し、日親上人への祈りを捧げたと伝えられています。

妙福寺の境内には、江戸の時代より続く様々な歴史の痕跡が残されています。
法華経の納経を記念して建立された力士の墓、文化に関わる人々の墓所など、信仰と文化の歴史を今に伝えています。

六百年の歴史を持つ妙福寺は、
これからも法華経の教えとともに静かに法灯を守り続けてまいります。