冠鍋日親大上人開基霊場
久遠成院日親聖人は、御年19歳、応永32年に総導師として九州松尾山光勝寺へ御下向されました。その折、松尾山の辰巳、三ヶ島と云う処に小高き石を説法の座になさり、九州地方弘通伝道の拠点として、肥前国加瀬郡加瀬町に一寺を建立され、土地の名をとって石岡山妙福寺と称されたことをはじまりとします。
万治2年5月、第十四世等光院日春上人の代に故あって、佐賀県より現在の谷中にお寺の庵室を移転されました。
江戸時代の『東都歳時記』には、谷中妙福寺久遠成院日親上人像御開帳が、正月・五月・九月に行われていたと記されています。
加えて、1月17日には年に一度行う重要な神仏の行事の1つとして、谷中 妙福寺の日親上人も江戸庶民の信仰の対象となっていました。